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I LEFT MY HEART IN SAN FRANCISCO

アメリカの作家、歴史家、アクティビストであるレベッカ・ソルニット。彼女の著作のひとつに、アメリカの都市を取り上げた「アトラス」シリーズがあることを、『群像』のソルニット特集にあった東辻賢治郎さんのエッセイで知った。「Atlas」とは地図帳を意味する言葉。興味が湧き、さっそく取り寄せてみた。文字通り、ひとつの都市を舞台に、異なるテーマをもった地図がいくつも載っていて、そこにソルニットだけでなく、地理学研究者やアーティスト、作家といった色々な人のコラムが、膨れ上がった注釈のごとく差し込まれている。都市は、それぞれソルニットと関わりの深いサンフランシスコ、ニューオリンズ、ニューヨークの3部作だ。

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サンフランシスコは、ソルニットのホームタウンである。「若い女」が晒される暴力や社会的不利を書いた『私のいない部屋』の舞台も、この街だ。時に辛く厳しい現実を突きつけられる内容だけど、巻末の謝辞には彼女のこの街に対する愛が溢れている。

ありがとう、オーシャンビーチ。ありがとう、太平洋。ありがとう、霧笛とカモメたち。ありがとう、サンフランシスコをとり囲む広大なグリーンベルトを護ってきた人たち。私は半世紀もその中をさまよい歩いてきた。*

地図には、例えば、グルメスポットかつ食の主要生産地として知られるベイエリアと、あまり知られていないナパやシリコンバレーの土壌・海水汚染の現状を重ねたもの(そこに、脚が2つあるミュータント風の人魚のイラストが挿し込まれていて、皮肉が感じられる)、かつては肉体労働者で溢れかえっていた大量のピアを示しつつ、その名残で今も朝までやっているバーをプロットしたものなど、街の相反する、あるいはまったく関係ないレイヤーを組み合わせたものが多い。もちろん、クィアムーブメントにおける重要なスポットを記した地図もある(外来種含めた蝶の生息地が重ねてられている)。

私はこういう個人的な視点が色々と書き込まれた地図が大好きだ。学生の頃、雑誌から破って小さく折りたたんでポケットに潜ませ、コソコソ見ながら回った古着屋やレコ屋のマップ。何より、世界の白地図に、何でも知り得た情報をイラスト付でちまちま描き込むことが好きで、おかげで地理はいつも成績が良かった。今でも、アフリカの極小の国々の主要生産物トップ3を覚えているくらい。

「アトラス」シリーズはテキストの分量もわりと多いので(もちろん英語)、実はそこまで読みこんではいない。それでも、ユーモアと批評性たっぷりのテーマで描かれた地図と、そこに添えられている気の利いたキャプションを読むだけで、一年に3回も4回も行っていた私の記憶の中のサンフランシスコがありありと蘇ってくる。

ほとんどの人がマイカー移動のLAと違って、SFはわりとみんなバスを使っていた。

サンフランシスコは、私がこれまで一番通った海外の都市だ。大学生だった頃、高校時代にやっていたインディーポップミュージックをきっかけに知り合った友達の多くが、サンフランシスコやバークレー在住だった。当時はまだ航空券も安くて円高だったから、バイト代を工面すれば西海岸へ行けた。私は大学が休みになるたびに行き、ミッション地区にあった友達の家に居座り、そこから日々散歩に出かけた。

スケートショップのFTC。この並びに巨大なレコ屋もあったので、よく行っていた。

ヒッピーカルチャーで有名なヘイトアシュベリーにはFTCというスケートショップがあって、できないけどスケボーに憧れてた私は、ステッカーやらVHSやらを買っていた。当時のスケボービデオは、次々と危険なトリックを披露し、ストリートを駆け抜け、警官に追いかけられる映像のBGMが、なぜかスミスとかジョイ・ディビジョンとかイギリスのちょっと暗いギターポップで、それがすごく好きだった。ミッション地区はもともとヒスパニックの人が多い移民街だから、日曜日のブランチには礼拝帰りのメキシカンたちに混じってタコスを食べた。時にはバスに乗って海辺へ出掛けたりもした。降車ボタンはなく、頼りない紐が窓際に張られていて、それを引っ張ると運転席近くの鐘がチンと鳴って止まる仕組みだった。クィアの友達も多くて、多くがアメリカ全土から差別のない土地を求めてこの街に来ていた。たくさん話す中で、彼らの他者の痛みに心を寄せる温かさを知った。夏でもロサンゼルスほど暑くなく、夜はむしろ寒いくらいで、友達のパーカーを借りて温かいコーヒーを飲んだことを思い出す。

友達のバンドのライブにて。絶妙にいなたい格好の女子が多かったような。
どこかのレストランの入り口だけど忘れてしまった。

母親と二人でサンフランシスコ近代美術館(SFMOMA)の真隣にあるホテルに泊まって、毎朝、美術館のカフェでサンドイッチを食べたこと。私がアンセル・アダムズのギャラリーに行ってしまった間、待ちぼうけを食らった母が一人で買い物に出て、小さなグローサリーの店員と仲良くなったと喜んでいたこと。バークレーに住む友達たちがウェルカムパーティを開いてくれて、色とりどりの風船や毒々しい色のケーキがある中、夜中まで大騒ぎしたこと。適当に入った店の人生初のクラムチャウダーがものすごくおいしかったこと。ロバート・ラウシェンバーグの長大なタイヤ痕のプリント、ホッパーやオキーフの乾いた風景画が、西海岸の光の中で輝いていたこと。あの時にSFMOMAで現代美術に触れた感動が、(仕事にしているがゆえに時々嫌いにもなるけど)なんだかんだ私をアートに引き留めてくれている。

特にピアの周りは、道が平たんだし、トリックできそうな段差や階段も多かったので、スケーターがよく滑っていた。当時は、こういうスケボーが擦れた痕がカッコいいと思い込んでいた。

通っていた2000年代頃から、シリコンバレーは大きくなり始めていた。そのうち、サンフランシスコはアメリカで一番家賃が高い街になった。友達もみんな居られなくなって、散り散りになってしまった。いなたい印象しかなかったミッション地区は、イケてるミレニアルズが集まるエリアになったらしい。街が変わっていくことは自然の摂理。ただ、こうやって地図をめくれば、私を惹きつけてやまなかったサンフランシスコに行くことができる。郷愁を誘いつつ新たな発見もくれるこの地図を、私はまた眺めるだろう。

*引用出典:レベッカ・ソルニット著、東辻賢治郎訳「謝辞」『私のいない部屋』(左右社、2021年)所収、287頁。

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Written & Photographed by Satoko Shibahara / Editor, Writer