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TALK WITH MORI

フォトグラファーの守本勝英さんに、アートディレクターの前田晃伸さんが会いに行きました。

◎ すごく初歩的な質問ですが、守本さんが写真を始めるきっかけってなんですか?好きなカメラマンがいたとか?レンズやカメラに詳しかったとか?

全然です。写真学校も出てないから、写真の知識も何もないところからスタートしました。

◎ 学校出てないんですか。知らなかった!

百合ケ丘っていう駅で育ったんですが、高校卒業してから隣駅の町田で遊ぶことがわりと多くて。一番近い都会が町田だったんで。町田の予備校に行ってたのもあって友達が多くて、そこで知り合った連中が結構面白かったんですよ。みんな芸大目指しててね。そこでアートとかカルチャーというものを知ったんです。映像をやってるやつがいたりとか、初めてアートっぽい奴らに出会ったというかね。それで家に親父のカメラがたまたまあったんで、ちょいちょいいじり始めて、写真を始めた感じです。俺、学生時代はずっとビデオレンタル屋さんでバイトしていたんですよ。

◎ 俺もビデオレンタルでバイトしてました!

おお!どこですか?

◎ なんか地元のちっちゃいところ。

俺もそうです。地元のちっちゃいビデオレンタル屋で働いてたら、そこの先輩が「アシスタント探してるって人がいるけど、やってみる?」って。

◎ それは何歳くらいのときですか?

21くらいのときにカメラマンアシスタントにつきました。面接に行って「じゃあやります」って。単純に面白そうだなと思って、バイト感覚でした。その後指定されたスタジオに行ったらいきなり白ホリがあって「何これ…初めて見た」みたいな感じでした。雑誌の『キューティ』かなんかの撮影かな。もちろんフィルムチェンジも露出も全然わかんないから、先輩のアシスタントの方にこういう風にやるんだよって教わって。2、3日その先輩と一緒にいて、少しずつノウハウを覚えていきました。

◎ 20年以上前の話になるんですね。

1~2週間くらいでやっとアシスタントの仕事を一人で出来るようになったんだけど、その時に俺、2時間半の遅刻をしたんです。『婦人画報』の撮影で下高井戸のスタジオだったかな。携帯もない時代だったから。で、すげえ怒られて。あぁ、もうクビだなあと腹をくくったけど、このカメラマンの仕事をちゃんとしないとなって思ったから、「なんでもするんでお願いします!」って感じで頼み倒しました。そしたら「本当になんでもするんでしょうね?」みたいになって(笑)。その頃普通に大学も行ってたんですけど、それもダブって。就職活動もしてなかったから、「あぁ、カメラマンになるかぁ」って。

◎ あれ、まだ学生だったんですね。何年くらいアシスタントをしていたんですか?

2年弱くらいかな。98年からやって、99年に卒業しました。だからあんまり遊んでないんですよ。20歳くらいの時ってみんな遊び呆けてるじゃないですか。18~19歳くらいの時はライブハウス行ったりいろいろ遊んだけど。

◎ アシスタント時代は時間ないですしね。

ないですね。で、アシスタント卒業した後に渋谷のビックカメラで携帯電話のバイトしてたんですよ。結構給料良くて月に40万くらい稼いでました(笑)。たまにカメラマンの仕事のオファーが来てたんだけどバイトでできなかったり、かと思えば『Free & Easy』で、<モエ・エ・シャンドン>を扱う店都内50軒巡りのページをポジで撮影させてもらったりしてました。

◎ ポジで!

ポジで撮影してました、お金ないのにね(笑)。現像だの作品撮りだの色々し出したら、ラボに200万くらい借金があったりしてました。それからいろんな出版社にブック(ポートフォリオ)持って営業にも行きましたね。ブックっていっても大した作品があるわけでもないけど、ブツ撮りの写真とかもいろいろ入れてカサ増しして。で、「ウチはこういう風にぶれてる写真はあんまり~」とか言われてしまったり。

◎ (笑)。どういう編集部へ持って行ったんですか?

『anan』とか行きました。『SPUR』とか『GINZA』とか女性ファッション誌はハードルが高いからまだ行けないと思ったり。『MEN’S NON-NO』の時は友達から借りた<アレクサンダー・マックイーン>のMA-1着て行ったのを覚えてます(笑)。

◎ たしかに、見てくれも大事ですもんね。

見てくれも大事だなと思って、貸してくれって頼んで。俺、ボロい服しか持ってなかったから。

◎ ちゃんとそうことやってるんですね。

そういうのが普通だったんです、その時代は。仕事をもらう上でちゃんとしなきゃいけない。自分が『MEN’S NON-NO』のファッションページの撮影をやるなんて信じられなかったです。最初の『MEN’S NON-NO』の撮影はモデル募集の4分の1ページで、原付でロケハンに行きました。

◎ そんなチャンスがあるなんてラッキー、みたいな?

そうそう。チャンスをどうものにするか!みたいな。あと、普通に営業行っても門前払いだから、営業の仕方を考えて、クラブに行ってスタイリストとめちゃくちゃ喋り倒してました。「こういうことでこういう風にやったら絶対良いと思うんだ」って。とにかくスタイリストから倒して行こうと思って(笑)、「なんかこいつ面白そうだな」っていう感じの戦法に出たわけです。まぁ、そんなだからか二村さん(*スタイリストの二村毅さん)が『MEN’S NON-NO』の巻頭の4ページフックアップしてくださって。今考えても大抜擢ですよね。それですごい色々仕事が来るようになりました。

◎ よく覚えてますね、やっぱり。

覚えてますね。白山さん(*スタイリストの白山春久さん)とは『MEN’S NON-NO』の中島美嘉さんの取材ページが最初です。それから<エディット フォー ルル>のカタログとかご一緒して。

あとでっかい山みたいなのを挙げるとしたら、<アンダーカバー>の撮影は大きかったですね。コレクションを撮影することになったんですが、それが自分のテイストとは全然違う作り込み系の写真で、超戸惑っちゃって。ショーをやらないで写真を展示したいということで、なぜか俺の名前が挙がってるみたいな状況だったんです。それまでの自分は二村さんとやってたもんだから、ミニマルな撮影のクセがついてるわけです。それがアイデンティティってわけではないけど、でもほぼ真逆の内容が来たからすごく戸惑いました。「これちょっと良いのか悪いのかわかんないな」みたいな状態ではあったんだけど、そんなことも言ってられないから大変でしたね。さらにその最中に白山さんのような、ああいう可愛らしい世界観が来て、「どうしよう」と。「俺、どれが好きなんだろう?」みたいな。どれもわかるし、「これだけを大切にする」っていうわけでもないし。その時期そういうことはいろいろと悩みましたね。

◎ でも、そういう価値観が多面的になっていくというか、望まれるものが自分のビジョンとは違うけど、「もの」にしていくっていうのはカッコいいし、とても良いじゃないですか!

やっぱり「オルタナティブ」っていうか、90年代が多感な時期だったから。俺らの世代って結構あれもこれも良いし、ロックもテクノも好きですみたいなことが多くて。でも、それってどうなんだ、みたいなコンプレックスもあったんですよ。マエキン(*前田さん)は何年生まれだっけ。

◎ 1976年。

一緒くらいだ。90年代が真っ盛りのときですよね。90年代って何にもないみたいなダメな時代だなみたいな感じだったから。

◎ 前に守本さん、MOB DEEPの『Shook Ones, Pt.Ⅱ 』が好きって言ってましたよね。この90年代感っていいですよね。でも、なんか最近の巷で言うところの90年代感ってなんだか違うというか、個人的に違和感を感じてるんです。

あー、わかります。

◎ 当時、クラブカルチャーとか、スケートカルチャーとかって、あんまり良いものとされてなかったと感じていたんです。いま認知されてる90年代カルチャーって当時は結構ダサい、汚いものとして弾かれてたのに20年代経ったら「90年代ってこれだよね」みたいになってて、「えぇ~」みたいな。

たぶんだけど、90年代のカルチャー自体、ちょっとダサくない?ってみんな思いながら生きてたしね。ビースティボーイズでさえ、そういうところあった気がします。ちょっとチャラめな。

◎ たしかに。違和感あリますね。

でもしょうがないか、とも思います。自分も当時は、GREEN DAYは全然ダメじゃんって思っていたけど、今となってはGREEN DAY超いいよねってなってるし。

◎そうですね。

月日を経て寝かされて、なんかよくなってくるみたいなのって結構あるじゃないですか。それを僕は「寝かし」と呼んでるんですけど。

◎ 寝かし(笑)!まぁ、それはあるかもしれない。

だから、最近ものを見るときに、これ寝かしたら良いかも!っていうの結構あります。

◎ どんだけ寝かすんですか? いちいち20年寝かす?

いや、わかんないけど、ちょっと寝かしたらいけるかもみたいなところあるじゃないですか。例えば、BlurとかOasisとか、当時はポップ過ぎて嫌だったし。

◎ いま良いですよね。

そう、いま良い。寝かしてよくなるってことは最近気になってます。こんなん全然ダメだよなと思いながらも、あれ? ちょっと寝かしたらもしかしたら…みたいな感覚。

◎ なるほど、優しくなったんですね。

そうそう(笑)優しくなったかもしれません。今までは許せなかったことが、だんだん。

◎ それは写真のセレクトにも起きてきてるんですか?

ありますね。

◎ 自分の中の合格ラインが変わってきた? 

うん、なんか大事にしてきたものが変わってきたのかもしれない。わりとクライアント寄りな考え方になってますね。若い時だとやっぱ「自分は」とか、「自分が」とか気になっていたけど、それがどんどんなくなって、何を求められてるかってことに対して真っ直ぐに取り組んでます。より職人的な感覚になってるのかな。作家ではないから。

◎ それはすごいわかりますね。

グラフィックデザインもそうですよね。俺はわりとその感覚に近いなって思ってます。カメラマンというよりかは、スタイリストとか、グラフィックデザインの感覚に近いカメラマンだなと。だからなんかね、ナルシスティックな写真がそんなに好きじゃないと思っちゃうし、そういう写真には負ける気が全くしないです。まぁわかんないけど。だけど、そんな感じはしています。

守本勝英
フォトグラファー。好きな食べものはうどん。もうすぐ『MELONE』というブランドをスタートさせるそうです。

Interviewed, Photographed & Collaged by Akinobu Maeda