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A GLASS OF POMEGRANATE JUICE AND A LITTLE READING

Summer Drink, Summer Book

in TOKYO

東京で過ごしていて、最近の話題といえばとにかく雨、のこと。

都会に住むとは、「うち」の機能をなるべく「そと」に託すことという気がしていた。家や職場近くのカフェで朝のコーヒーを飲む。緑を見たいなら近くの公園に。ゆっくりお風呂に浸かりたいときは銭湯へ。部屋は狭くなりがちなので、ストックはなかなかしておけない。そのかわりに通販が必要なものはすぐ届けてくれる、そういう生活。そういう身軽なやり方が自分の性分には合っている、と思ってきた。昨日呑んだあの缶ビールを今日もまた飲みたいと思うかはわからないし、いまお気に入りのハンドソープとは違うものを来月は使いたくなるかもしれない。

けれどそういう生活は激しい雨が降るだけでたちまち危うくなる砂上の城なのである、というのを実感してしまうここ最近の空模様(災害級の事態に遭われている方には本当にご無事で、早く日常が戻りますようにと願いつつ)。

というのが影響しているのかどうかはわからないが、この夏は大きなボトルでジュースを買い、ちまちま飲む、分厚い本を手元に置き、ちまちま読む、というのがあらたな安心になった。

1リットルのざくろジュースは、そもそもはボトルの存在感がどっしりしていていいな、花瓶になりそう、と思って買った。飲んでみたら酸っぱくて苦くてほんのり甘い。夏の朝の空っぽになった身体にぐっとくる。小さなコップでストレート、くいっと飲むときと、炭酸水で割ってぐいっと飲むときと、前の晩の暑さの度合いによって変える。あと、ちょっと味にえぐみがあって、そこがいいなと思うたびに、ワインレッドの色もあいまって、大人の飲み物だなあと思う。

本はこの2冊を交互に読んでいる。466ページと944ページ。読み終わらない本はプレッシャーになる、という気持ちも以前はあったのだが、子どもの頃に母が長い物語を少しづつ読み聞かせしてくれたときの感覚を手繰ったりしながら、読み終わっていない本の眺めにも慣れてきた。

この一冊は、絵描きの高田さんがいろいろな人に「忘れられない絵」について尋ね続けるという内容で、ひとつひとつのエピソードはどれも根っこがしっかりしているというか、ぐっとその人なりの実感のようなものがあるのだけど、そのたしかな実感を言葉で人に伝えることの難しさについても考えてしまう、そういう歯痒さが、誠実さに繋がっているような本だ。その人の原点みたいなことを伝える人もいれば「忘れられない」の定義について悩む人もいるし、自分の創作論を語りながら紡ぐ人もいて、ひとつのテーマでも人によって受け取り方が違う、ということが淡々と差し出されるのがいい。

こちらの一冊は、この本を読み終わったら、何かを行うときに言語化できない領域がどうしてもある、ということを前向きに考えられるのではないかという予感がある(そういう内容ではないかもしれないけれど)。とはいえかなり難易度が高くて、一日に数ページしか読めないときもある。けど読んでしまう、というのは自分にとって新しい体験で、著者の福尾さんが開いているオンライン講座を補助線に読んでいる。目が滑ってしまう文章がすこしづつ頭に入ってくるようになるのは嬉しい。自分は今までこういう本をある種のエッセイのようにしか読めなかったが、1単語づつおぼろげな理解を積み上げながら読むということの面白さがわかってきた。同時に、読めば読むほどわからなさも積み上がる。わからなさすぎて内容が頭に入ってこなくなったときはそのまま数行流し読みをすると、ただ文章の美しさにはっとしてしまう、のもこの本の楽しみのひとつだ。

カッと焼きつける夏の爽快さもよいけれど、うだるような湿気と朝晩の風に夏の終わりをじっとりと感じるのも、ここ数年で新しく共有されるようになった移り変わりの季節の実感だなあと思う。挨拶の枕詞があたらしくできていく。早く秋になってもらって清々しい空の下で思いっきり散歩をしたいなあと思う気持ちももちろんあるけれども。

Written & Photographed by Natsuko Yoneyama / Graphic, Editorial Designer