「冷たくされてもいいんです 冷たくするからいいんです」
と大滝詠一師匠も仰っているとおり、サイダーとは夏の暑い日にキンキンに冷やしてゴクゴク飲むべき爽やかな炭酸飲料なわけだが、実のところそんなイメージは日本だけにしかないらしい。“cider”は英語においては「リンゴ酒」を意味するのである!……と言うと、すかさず「それってシードルですよね」とツッコミたくなるが、シードルはフランス語の“cidre”の読みをカタカナにしたもので、元は同じ。じゃあ炭酸飲料は何と呼ぶのかと言えば、それは“soda”となる……って話で済んでしまえばまだ簡単なのだけれど、これはあくまでイギリスの話。同じ英語圏でもアメリカでは、リンゴ酒だけじゃなくリンゴジュース(ノンアルコール)も含めて“cider”と呼ぶからややこしい。ちなみにリンゴ酒の方は“hard cider”と呼んだりして区別している。
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さて、このノンアルコールの“apple cider”だが、これがまた日本でよくあるリンゴジュースとは似て非なるモノだ。明確な定義は州によって違うが、“apple cider”とはリンゴの絞り汁から果肉の粒などを取り除く濾過処理を行わない、「無調整の生リンゴジュース」のこと。一方、日本で飲めるリンゴジュースのほとんどは濾過処理を施し、長期保存のために低温殺菌したもので、これは英語で言うところの“apple juice”って感じかな。“apple cider”はそれよりずっとワイルドかつクラシックな飲み物で、保存が効かないから時期も限られる。夏よりも秋、9月〜11月あたりがベストシーズンだ。
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この“apple cider”が150年以上も前から飲まれてきたのが、アメリカ北東部のニューイングランド地方。緑豊かなこのエリアでは、秋になると数多くの「サイダーミル」の営業が始まる。サイダーミルとは摘んだリンゴをプレスして絞る機械の名前であり、サイダー製造所そのものも指す。かつては大きな農場にはたいてい自前の果樹園とサイダーミルがあり、約1年分のリンゴ酒やジュースを自家製で作ったという。今も秋になると各地のサイダーミル巡りをする人々がいるくらい、“apple cider”は風物詩であり文化なのだ。
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そんな同地のサイダー文化を克明に描いた小説といえばもちろん、映画化もされたジョン・アーヴィングの『サイダーハウス・ルール』。1940年代、メイン州の孤児院で育った少年ホーマーが、とあるきっかけでサイダーミルのリンゴ農園で職を得る。その仕事はアップルピッカー(リンゴ収穫人)で、ホーマーは収穫時期になると集まってくる黒人の季節労働者たちとともに、「サイダーハウス」と呼ばれる宿舎で暮らすようになる。その宿舎の壁に貼ってある「宿舎内規則」が、タイトルになっている「サイダーハウス・ルール」なのだが、こんなあらすじも説明したくないくらい、本当に素晴らしい物語だ。エリカ・バドゥやヘヴィ・Dが出演している映画版もナイスだけど、原作の小説はその100倍良い。すべてが良い。上下巻併せて900ページ超、実際に読んだ人だけが味わえる喜びであってほしい。
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僕はと言えば、10年ほど前の秋にメイン州を訪れる機会があり、クラムチャウダーとロブスターと並ぶニューイングランドの名物である、この濁った琥珀色のドリンクにありつくことができた(下戸なので“soft cider”だけね)。その味はまさに『サイダーハウス・ルール』みたいに、酸っぱく、甘く、濃厚で、自然で、野性的だった。9月の出始めはまだ酸味が強く、秋が深まり紅葉が美しくなるにつれて次第に甘みが増すという。死ぬまでにいつかもう一度、飲んで、読んでみたいと思っている。
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Written & Photographed by Kosuke Ide / Editor in Chief of Subsequence Magazine